福岡地方裁判所 昭和42年(ワ)1069号 判決 1975年12月24日
第九八四号事件原告
小川一男
(仮名)
第一〇六九号事件原告兼右原告法定代理人後見人
小川金蔵
(仮名)
第一〇六九号事件原告
小川ウメ
(仮名)
外五名
右原告ら訴訟代理人
斉藤鳩彦
外一名
両事件被告
国
右代表者法務大臣
稲葉修
右指定代理人
伴喬之輔
外一名
両事件被告
福岡県
右代表者知事
亀井光
右訴訟代理人
森竹彦
主文
一 被告福岡県は
1 原告小川一男に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和四五年七月一二日から完済まで年五分の割合による金員を
2 同小川金蔵及び同小川ウメに対し、各金一五万円及びこれに対する昭和四二年七月八日から完済まで年五分の割合による金員を
各支払え。
二 原告らの被告国に対する請求、並びに原告小川金蔵、同小川ウメの被告福岡県に対するその余の請求、及び原告小川金一、同岡フク子、同小川トシ子、同小川昭子、同小川和夫の被告福岡県に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用中
1 被告国と原告らとの間に生じたものはすべて原告らの負担とし、
2 被告福岡県と、原告小川一男との間に生じたものは全部同被告の、同小川金蔵との間に生じたものはこれを六分してその五を同原告、その余を同被告の、同小川ウメとの間に生じたものはこれを五分してその三を同原告、その余を同被告の、その余の原告らとの間に生じたものは、全部同原告らの各負担とする。
四 この判決は一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一、原告ら
1 被告らは各自、原告小川金蔵に対し金一一二万六九三一円、その余の原告らに対し各金五〇万円及び右各金員に対する昭和四二年七月八日から(但し、原告小川一男に対する関係では昭和四五年七月一二日から)各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
二、被告ら
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一、請求原因
1 事件の発生
昭和四二年(以下特に明示しない年はすべて昭和四二年である。)二月七日午前八時三〇分頃、大牟田市船津町一丁目国鉄鹿児島本線諏訪川鉄橋南側軌道敷内窪地において、同市立船津中学校に登校途中の甲女(当時一四才、同校二年在学中)が、何者かに暴行されたうえ、諏訪川に落され、溺死させられるという事件が発生した。
2 捜査経過の概要
(一) そこで、即日、福岡県警大牟田警察署内に、同署々長滝茂(同県警視)を本部長とする「諏訪川女子中学生殺人事件」特別捜査本部が設けられ、直ちに犯人の捜査が開始されたが、捜査は難航した。そして、事件発生後二か月以上を経過した四月一三日、捜査本部の生島甚六警部補らが原告小川一男(当時二七才、以下単に一男ということがある。)を任意に取調べ、同人の自白を得て以後、捜査本部は、同人に対する嫌疑を深め、その後約一か月にわたり同人に対する任意取調、裏付捜査等を遂げた結果、五月一二日ごろまでには同人を真犯人であると断定し、五月一九日、身柄不拘束のまま事件を福岡地方検察庁久留米支部に送致した。
(二) 同支部長検事河田昭は、右送致を受けた後、一男に対する逮捕状の発付を得て、同月二二日これを執行し、その身柄を拘束したうえで補充捜査をなし、一男が真犯人であると断定したが、刑事責任能力に問題があつたので、更に同月二七日から六月二六日まで鑑定留置状により久留米市津福本町一〇一二番地聖ルチア病院において一男の刑事責任能力の有無に関する鑑定を実施させ、七月七日、同病院長医師柴田出の「白痴に近い重症の痴愚で心神喪失と認める。」旨の鑑定意見を参考として、心神喪失を理由に不起訴裁定し、精神衛生法二五条に基き、福岡県知事に対し通報した。
(三) 同知事は、同日、同法二九条による措置入院処分をなし、一男を右聖ルチア病院に強制入院させた。
3 しかし、一男は真犯人ではない
(一) 目撃者の犯人像との決定的な相違<以下―略>
第三 証拠関係<略>
理由
一請求原因1記載の事件の発生、及び同2記載の捜査経過の概要については、当事者間に争いがない。
二違法な公権力の行使についての原告らの主張の要旨と問題点
1 原告らは、一男が本件殺人事件の真犯人ではないのに、捜査本部の警察官が、一男を真犯人と断定してその旨公表したことは、違法な被告福岡県の公権力の行使に該当し、また河田検事が、一男を逮捕し、かつ真犯人であると判断したうえで不起訴処分にし、その旨公表したことは、違法な被告国の公権力の行使に該当すると主張する。なお、原告らは、捜査本部の警察官及び河田検事の捜査過程における一男の自白の取扱い、及び一男に有利な証拠の取扱いについて、別個独立に公権力の行使の違法を主張しているかの様にも見えるが、右の点の違法はいずれも、警察官が一男を真犯人と断定して公表した違法及び河田検事が同様の判断のもとに不起訴処分をなしてその旨公表した違法の前提ないしは理由となる事実であつて、原告ら主張の損害の内容と対比するとき、これを独立の違法な公権力の行使の主張としてとらえる必要はないものと思料する。
2 ところで、捜査本部の警察官が、一男を真犯人と断定してその旨公表したことが被告福岡県の公権力の行使に該当し、河田検事が、一男を逮捕し、同人が真犯人であると判断して不起訴処分に付し、その旨公表したことが被告国の公権力の行使に該当することは、それが事実であれば、特に異論はないであろう。
3 問題は、右各公権力の行使の違法性の要件である。
(一) 先ず、警察官が、一男を真犯人と断定して公表した行為について考えるに、警察官が内心あるいは捜査会議において特定人を真犯人と断定すること自体は何ら他に損害を及ぼすべき行為ではなく、それを外部に公表することにより、はじめて特定人の名誉にかかわりをもつてくるのであるから、右断定それ自体の違法性を独自に考える必要はなく、公表の違法性の判断において、その前提問題として判断すれば足ることがらである。
そこで、警察官が特定人を特定の刑事事件の真犯人である旨公表した行為が、いかなる要件のもとで違法性を帯びるかについて考えるに、その公表内容が特定人の刑事事件に関する事柄である以上、その公表自体により、その人の名誉が侵害されるのであるから、刑法二三〇条の二の趣旨に照らし、①公表の内容が公共の利害に関することがらであり、その公表がもつぱら公益を図る目的に出た場合であつて、しかも②公表された事実が真実であるか、仮に真実でなくとも公表者において真実であると信ずるにつき相当の理由があつたと認められない限り、その公表は違法性を帯びるというべきである。ところで、刑事事件の発生及びその内容は公共の利害に関することがらであり、刑事事件の捜査を行なう警察官が報道関係者に事件の発表を行なうことは、特段の事情のないかぎり、もつぱら公益を図る目的に出たものと認めるべきであるから、本件においては前記①の要件は特に問題なく肯認できる。そこで、本件において重要なのは、前記②の要件であつて、この点については勿論被告福岡県が立証責任を負うというべきである。それ故、原告らは、請求原因3において、一男が真犯人ではない旨主張しているが、この点が積極的に立証されなければ公表の違法性が認められないというわけではないので、一男が無実であるという点について積極的に判断を下す必要はない。
(二) つぎに、河田検事が一男を逮捕した行為についてであるが、逮捕の要件は刑訴法に規定されているわけだから、同検事が逮捕状を請求した際、その要件が備わつていたか否かを判断すれば足りる。もつとも、逮捕の要件の存否の判断は、判断者が判断時に参照し得た資料によつて大きく左右されることもあるので、その要件の存否の判断においては、同検事が参照し得た資料に基いて判断する必要があること、もとより当然である。
(三) つぎに、同検事が一男に対し心神喪失を理由とする不起訴処分をした点について考えるに、原告らは、右不起訴処分それ自体が原告らに対する加害行為であると主張しているようにもとれるが、この点については、被告国が主張するように、そもそも起訴しない処分自体によつて被疑者の権利、利益が侵害されることは考えられないところであるし、また右不起訴処分の理由が心神喪失とされていることについても、不起訴処分の理由の種類とその要件を規定しているのは、検察庁部内の事件事務規程にすぎないので、本件不起訴処分が部内事務処理として右規程に適合するかどうかの問題が生ずるにすぎず、仮に本件不起訴処分が部内事務処理として不適法なものであるとしても、そのこと自体により被疑者の権利、利益が侵害されるとは考えられない。ただ、不起訴処分の理由が公表された場合には、その理由の意味するところ次第で、被疑者の名誉が侵害されることが考えられるが、その場合は、もはや不起訴処分それ自体を加害行為とみるべきではなく、公表行為による権利侵害とみるべきである。したがつて、不起訴処分それ自体について独自にその違法性を検討する必要はなく、公表の適否を判断する前提として、不起訴処分の理由に含まれている検察官の判断の当、不当を考えれば足りるものである。
(四) そこで、河田検事の公表の点について考えるに、原告らは、同検事が、報道関係者に対し、一男は真犯人だが、犯行時心神喪失に近い状態で責任能力がないから、不起訴にした旨公表したことが違法だと主張しているようであるが、原告らの損害の主張と照らせば、一男が心神喪失状態であつたこと、及び不起訴処分となつたことの公表については特に問題があるわけではなく、重要な点は、一男が真犯人であると公表されたことにあるわけだから、この点の違法性の要件については、前記捜査本部の公表と同様に考えればよい。
(五) 以上の次第であるから、以下、捜査本部及び河田検事が一男を真犯人であると公表した行為、並びに同検事が一男を逮捕した行為の違法性につき検討を加える。
三捜査本部の公表の違法性及び有責性
1 捜査本部が、五月一二日、報道関係者に対し、一男を本件殺人事件の真犯人である旨公表したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第八号証の七ないし一一によると、翌一三日ないし一四日の新聞には、捜査本部が、「現場近くの無職者A(二七)」あるいは「大牟田市天領町に住む二七才の男A」を、本件殺人事件の犯人あるいは容疑者と断定したこと、及びAなる男は「自分の名前が言えないほどの重症精薄者」あるいは「知恵遅れの男」であることが報道された事実が認められる。右新聞報道によると、一男を知つている者あるいは天領町付近に住む者にとつては、Aなる男が一男であることを推測するのは容易であると考えられるから、結局捜査本部の報道関係者に対する右公表により、一男が本件殺人事件の真犯人であるとの事実が新聞等を通じて、一般に公表されたものと認められる。
2 そこで、右公表内容の真実性、即ち一男が犯人であることの真実性、または捜査本部がそれを真実と信じたことの相当性について判断する。
本件において、被告側から提出された捜査記録のすべて(乙第一ないし第六五号証、いずれも成立には争いがない。)を検討したところ、一男が本件殺人事件の真犯人であることを裏付ける直接的かつ積極的証拠としては、乙第二四ないし第二八号証の同人の自白調書計五通(四月一三日付及び二五日付各一通の警面調書並びに五月二六日付一通及び七月七日付二通の検面調書)及びこれらとその内容において等質な乙第三〇号証の四月一九日付司法警察員作成の実況見分調書(一男の犯行現場での犯行再演を内容とするもの)、乙第三一号証の同月二五日付司法警察員作成の写真撮影報告書(一男が被害者の所持品を選出した状況及び犯行再演状況を内容とするもの)があるのみで、他には決定的証拠のないことが認められる。間接的な証拠としては、乙第二一ないし第二三号証のAの供述調書(断定はできないが一男に似たところがある男が、犯行時刻ごろ犯行現場近くにいたのを目撃したとの内容)及び乙第三二ないし第三四号証の司法警察員の捜査報告書(一男が近所の幼児に対し、パンツを脱がせたり性器に触れる等の卑わいないたずらをしたことがある旨の聞込みについての報告)があるが、これらの証拠だけでは一男を真犯人と認めるには不十分であり、その証拠価値は高くない。せいぜい前記自白の信用性を高あるための一資料となるにすぎない。その他に、犯人を特定するに重要な証拠として、Bや大福パン諏訪川工場の女子工員三名の供述調書(犯人及び犯行の一部を目撃した旨の供述)があるが、その内容を仔細に検討すると、これらは一男が真犯人であることを裏付けるに役立つ証拠というより、むしろそれを否定する方向に働く証拠である。その他は、一男の自白の信用性に関する証拠、一男のアリバイに関する証拠及び犯人の特定には直接関係のない一群の証拠である。なお、<証拠>によると、本件殺人事件の捜査記録のすべてが本件訴訟に証拠として提出されたわけではなく、まだ未提出のものがかなりあることが窺われるが、一男が真犯人であることの立証責任を負う被告らがその手中の証拠を提出しないのであるから、未提出分には、一男が真犯人であることを裏付ける資料は含まれていないものと推認される。そして、本件訴訟において被告らが申請した証人らの証言によつても、一男が真犯人であることを裏付ける決定的証拠は本人の自白であり、他にはとりたてて有力な証拠もないことが窺える。したがつて、一男が真犯人であることの真実性を検討するには、まず同人の自白の信用性を検討する必要がある。
3 一男の自白の信用性について
(一) 一男の最初の自白調書である四月一三日付の八島警部補に対する供述調書(乙第二四号証)には概略次のような趣旨の記載がある。
「ずつと前の日の朝、竹を切りに鉄橋のところへ行つたとき、二つある線路の真中で(地図を書いて場所を示し)、学校へ行つている女と出会つた。女は鞄と手提袋を持つていた。僕が女の肩の方を押して押し倒した。そして両手で首をギューと締め、つぎに女のバンドでギューと締めた。それから、パンツの下の方(裾)を引つぱつて脱がせた。チンチン(陰部)には毛がなかつた。そして女をかかえて川にドブンと投げた。そのあと鞄、手提袋を次々に川に投げた。またパンツを投げたらひつかかつたので、こまかい石を投げて川に落し沈めた。」というものである。
四月一九日付深江巡査部長作成の実況見分調書(乙第三〇号証)には、右自白をした翌日の一四日、一男が警察官を自宅から犯行現場まで案内し、母小川ウメの立会の下で、具体的な位置、動作を示しながら、前記自白調書とほぼ同内容の犯行状況を再演したことが記載されており、また再演状況の写真も添付されている。
四月二五日付の一男の生島警部補に対する供述調書(乙第二五号証)には、一男が同日、前記乙第二四号証の自白調書とほぼ同様の犯行状況の再演を行なつたことが記載されているほか、一男が被害者の顔写真、鞄、手提袋(運動靴入れ)、バンド、パンツ、長靴下を類似品の中から間違いなく摘出したこと並びに犯行当時被害者が左手に鞄を持つていたこと、首を締めたとき被害者がバタバタあばれたこと及び被害者を川に投げたとき川には水がいつぱいあつたことを述べたこと等が記載されている。そして、右供述の際における一男の犯行再演状況、所持品等の摘出状況は、同日付蔵座巡査部長作成の写真撮影報告書(乙第三一号証)に写真入りで説明されている。
五月二六日付及び乙第二七号証の七月七日付検面調書に記載されている一男の供述内容も、前記警察段階での供述に尽されている程度のものであるが、目新しい供述としては、右七月七日の調書に、パンツを落すために石を投げたのは一回であること、犯行現場から立ち去るときは川の南側の土手沿いに西の方へ歩いて帰り、その途中でも川に石を投げたこと、の二点があるくらいである。また乙第二八号証の七月七日付検面調書では、前半犯行を否定する供述が認められるが、後半はこれを肯定する記載で終つており、全体としては自白調書としての形をとつている。
そして、以上の警面調書、検面調書の記載方法は、いずれも問答式になつていて、四月一三日付の調書は答が比較的長い文章になつているが、他は一問一答式に、短かく簡単な答で記載されている。
右自白調書等をみれば、捜査記録上は、一男が四月一三日はじめて警察の取調を受けるようになつてから検察庁段階まで終始一貫して、自白を維持していることになっている。
(二) ところが、<証拠>によると、聖ルチア病院の精神科医師である同証人が、河田検事の嘱託により一男の精神鑑定を行なつたところ、問診による所見では、一男は、意識障害はないが、精神薄弱者特有の無欲状で遅鈍な、表情に乏しい顔貌をしており、姿態は鈍重で、問いに対する反応も遅く、かなり強い刺激によつてはじめて反応することも多く、注意力も乏しく持続させるのは困難であり、記憶力、記銘力はある程度保持しているが、感情の起伏に深みがないことが目立ち、周囲の事物、出来事に応ずる感情反応も乏しく、この結果だけから見ても明白に精神薄弱であることがわかり、WAIS知能診断検査では動作性IQ三八、言語性IQ二二、田中ビネー式知能検査ではIQ二一であつて、これらの点から見ると、一男は、精神薄弱の痴愚に属し(ちなみに、IQ二〇以下が白痴、五〇以下が痴愚、七〇以下が軽愚とされている。)、知能年令でいうと三才ないし三才半程度の精神能力しかないことが認められる。(一男の知能指数、知能年令については、当事者間に争いない。)
また、<証拠>を総合すると、一男は、前記精神能力の欠陥のため、人との対話において、相手の質問の意味が十分理解できず、自己の表現においても、語彙が乏しく、日時、場所、物、人等を具体的に特定する能力が著しく劣り、いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どうしたかという、基本的文章を表現する能力に欠けるうえ、質問者の暗示や誘導にかかりやすく、一貫した意味ある供述はできないことが認められる。
たとえば、甲第一二、一三号証の接見録音反訳書や原告本人小川一男の供述をみると、一男の返答は、短かい具体的な問に対し、極めて単純に肯定的、否定的言葉で答える(うん、はい、違う、うんにや)か、あるいは質問に現われた言葉をそのまま繰返して答える(見たか? 見た。脱しとらん? 脱しとらん。)場合が多く、何々した、何々しとらんと答える場合も、主語を明らかにしないため、一人称の表現と聞き取れる場合が多く、質問者が念入りに誰がしたのか、君がしたのか等とその行為の主体を明確に質問してはじめてその点が明らかになり、結局、答の意味が逆転することがよくあること、また単に肯定もしくは否定によつて答えられない質問に対しては、即座に回答できない場合が多く、全く的はずれな答が返つてくることもかなりあり、質問者が暗示的、誘導的質問を出すと比較的答が出やすいが、その場合は同じ問に対しても、質問者の態度や質問文の形式、前後の質問の内容によつて答がまちまちになりがちであること、そして、重要なことは、なぜそのように答が変転するのかについて一男は説明しないし、また聞く方でも理解できないので、結局、一男の供述は全体として何を言つているのか趣旨が明確でなく、自白とも否認とも容易に判断できないことが認められる。このように、一男の供述は、様々な角度から質問してみると、個別的には、自白ととれる答や、否認ととれる答が入り乱れ、その間には無関係な答も現われたりして、全体としては何を述べているのかわからない結果となることが多いのであるから、前示乙第二四ないし第二七号証の自白調書に記載のような明確な供述が、果してそのとおり得られたものか、にわかに信じ難いところであり、これは取調官の一定の目的意識に従つた答えの整理、取拾選択によつてもたらされたものではないかと思われる。この点は、乙第二四、二五号証の自白調書作成に関与した証人生島甚六の証言からもある程度は窺い知ることができるし、また右自白調書とほぼ同じ内容の問答形式で一男の自白を得た旨記載されている乙第四二号証の精神鑑定書についても、その作成者である証人柴田出の証言によると、右鑑定書記載の一男の自白供述は、同証人が一男の様々な供述を整理したものであることが認められ、このことからも明らかと言える。
ところで、捜査官が供述調書を作成する場合、供述者の供述のすべてを記載しなければならないものではなく、必要な供述を取捨選択し、整理したうえで作成することはもとより当然許されることであり、たとえば供述者が、当初述べていたことを、後に、嘘を述べていたとか思い違いであつたとかの理由で別の供述に変えた場合、当初の供述から書き始め、それを変えるに至つた理由を経て、最終的な供述に終るまでをすべて記載する必要はなく、最終的に供述者が真実であるとして述べた点を記載すれば十分であろうが、一男の場合のように、その供述が変転し、その理由も明らかでない供述について、その一部を拾い出し、整理して羅列するということは、もはや供述者の供述を録取したものとは言い難く、それは録取者が供述者の供述の中から正しいと思うことを記載したものにすぎず、録取者自身の供述書といつても過言ではないであろう。したがつて、前記乙第二四ないし第二七号証の自白調書を、そのまま「自白」として認めるに躊躇せざるをえず、単に一男の数ある供述の中に、右各調書記載のような供述もあつたという程度に止めねばならない。また乙第二八号証の検面調書の場合は、一男の否認供述と自白供述とを合わせ記載しているが、締め括りの方に自白供述を並べることにより、一見自白調書のような印象を与えている。しかしこれとても前同様の理由で自白調書とは認め難く、他の調書と同等に扱うほかない。してみれば、右各自白調書それ自体の信用性はもはや問題とする必要がない。
(三) もつとも、前記のように、一男が、警察官や検察官の取調べに際し、誘導されあるいは暗示にかかつたにせよ、断片的に前示乙第二四ないし第二八号証記載のような個々の供述をなしたことは事実であろう。そして、<証拠>によると、一男は、本件殺人被疑事件での勾留中、原告ら代理人両名との面接の際、同事件での鑑定留置中、鑑定医柴田出の診察の際及び昭和四六年六月二八日本訴において原告本人として供述した際にも、なお前示乙第二四ないし第二八号証の自白調書に記載されていると同旨の犯行を自認するがごとき供述を時折繰り返したことが認められる。しかし、その前後には犯行を全く否定する供述や、それは他人がした行為であるとか、自分が目撃した行為であるとかいうふうに聞き取れる供述が入り乱れており、一向に要領を得ないものであり、また、日時場所の特定が十分でないため、いつ、どこであつた事柄を述べているのかすらもはつきりしないので、結局一男の供述自体については、その信用性の問題に立ち入る前に、その意味を十分に理解することが困難であるというほかない。そこで、むしろ前記乙第三〇号証の実況見分調書や同第三一号証の写真撮影報告書の中に表現されている一男の犯行再演の模様及び被害者の所持品等の摘出行為の信用性を重視して検討する必要がある。
(四) <証拠>によると、一男は最初に警察官から取調べられた四月一三日、兄小川金一の面前で犯行を再演して見せたのをはじめとして、四月一四日には犯行現場で母小川ウメの面前で、四月二五日には大牟田警察署当直室で精神科医師辻敬二郎及び心理学技師岡本健二の立会の下で、それぞれ犯行を再演しており、聖ルチア病院での精神鑑定医の診察の際にも犯行を再演したこと、その各犯行再演状況は、演技であるから若干の相違はあるものの、ほぼ共通で、その内容は、被害者をつかまえた行為、押し倒した行為、手で首を締め、次にバンドで首を締めた行為、パンツを脱がせる行為、及び被害者を川へ投げ込むため抱え上げる行為の全部または一部で構成されていること、そして、右再演された犯行の状況は、一部犯行を目撃したと考えられる第三者の供述内容とも合致し、現場の状況や死体の状況からみても矛盾しないことがそれぞれ認められる。このように一男が度々犯行を再演し、しかも前示のように一男は言語性IQよりも動作性IQが比較的高いことを考えると、一男の右犯行再演は極めて信用性が高いように見える。しかし、動作による表現は、日時、場所、行為主体等について言語による説明を加えなければ、その動作の持つ意味を完全に理解することはできない筋合であるが、一男は、前記のとおり、日時、場所を特定して表現する能力に欠け、しかも行為主体も明確にしない場合があるのだから、この欠陥が動作による右表現に影響を及ぼさない理由はなく、一男が暗示にかかりやすい傾向にあることを思えば、これらの影響は軽々しく否定さるべきではない。そうすると、言語による表現が正しく行なえない一男の動作による表現の意味を理解するについても、極めて慎重にならざるを得ない。特に一男の動作による表現は、供述の場合と異なり一貫性があるように見えるが、一男に犯行の再演をさせた際には、供述を求めた場合と異なり、その信憑性を確認するため、ことさら別の角度から暗示を与えたり誘導するなど、その検証がなされていないことに注意を要する。前示乙第三〇、三一号証、第四〇ないし第四三号証等には、一男が極めて主体的に、ためらいもなく、敏捷にしかも誤りなく、一貫性のある犯行を再演したかのごとく記載されているが、前記自白調書の記載のしかたの不十分な例や一男の能力上の欠陥(反応のにぶさ、動作の鈍重さ)からみると、その記載どおりに受け取るには躊躇せざるを得ない。
つぎに、一男が被害者の所持品等を摘出した点を見るに、前示乙第三一、四〇、四一号証には、一男は、四月二五日大牟田署の当直室において、前示精神科医師辻敬二郎及び心理学技師岡本健二の立会の下で、被害者の顔写真、被害者の所持していたのと同種の鞄、被害者の手提袋、パンツ、バンド、長靴下を、他の類似品の中から、誤りなく直ちに選び出し、かつ、パンツの形や、被害者の手袋の色も的確に指摘した旨記載されており、また前示乙第四二号証には、一男が精神鑑定医の面前でも、被害者の顔写真を同様に選び出したように記載されている。しかし、一男の能力(記憶力、記銘力)の低さを考えると、誤りなく直ちに摘出したこと自体に一抹の疑問が残る(犯行後すでに四年を経ているとは言え、本人尋問の際には、一男は鞄や靴下の選出は誤らなかつたのに、被害者の顔写真の選出を誤つている。)し、また逆に、その能力の低さから見ても、摘出の際、使用された類似品は、あまりにも類似性が薄いように思われる(乙第三一号証の写真を見ると、顔写真は、被害者以外の四葉は制服が同種で、被害者のそれと顕著に異なつており、所持品についても、類似品は、女学生の物にしてはあまりにも不似合いである。)。そして、右選出や形、色の指摘についても、再演と同様、多角的に検証を加えた形跡は見られない。したがつて、一男が誤りなく直ちに摘出したことが、かりに事実であつたにしても、一男が犯人でなくとも、被害者のものがどれで、どのような形、色をしていたかを知る別の機会があつた可能性を更に考えてみる必要がある。
(五) そこで、右一男の犯行を自認するかのごとき供述、犯行の再演、被害者の所持品の選出等の行為が、犯人でなければできないものかどうか、逆にいえば、犯人でなくともできる可能性があるかどうかを考えてみる。
まず、<証拠>によると、一男は被害者の死体が天領橋下の諏訪川から発見された日に、死体が引き上げられる作業を長時間目撃したことが認められ、また船津橋横の鉄橋の下から被害者の所持品等が発見され、警察官が現場検証をしている光景も目撃したことが推認される。そして、本件殺人事件の発生は、現場近辺の人々にとつてはまれにみる重大ニュースであつて、捜査の成行には深い関心が寄せられ、人々の日常の会話の間に、犯人の消息や捜査の経過のみならず、犯行の態様等についての話があちこちで繰返しささやかれ、一男の耳にも届いたであろうことは想像に難くない。そして、これらの経験は、痴愚者である一男にとつても、深い関心と興味をそそり、鮮明な印象を残したであろうと考えられなくはない。これらの可能性が考えられる以上、一男の供述や動作の中に、右経験に根ざすものがあることを否定することはできないであろう。また、前示乙第六五号証と証人生島甚六の証言によると、一男は、四月一三日の遅くとも午前一一時半頃までに、はじめて大牟田署に連行され、午後三時ころまでは一人で取調べを受けた後、兄金一の立会の下で犯行を再演したこと、そして、その日は午後一〇時半までの長時間同署に留め置かれたことが認められる。また証人C、Dの証言によると、一男が四月終りころ右証人らに対し「警察おろうが、バンドあろうが、このバンドでしたばい、あのおつちやん悪かばい、あれ牢屋に入れないかん。」との趣旨のことを身振りを加えて述べたことが認められる。もとより、一男のこの発言をどのように理解すべきか問題がないわけではないが、右のような事実からすれば、一男が、警察で取調べを受けた際、警察官から犯行態様や被害者の所持品について何らかの知識を教え込まれた可能性が考えられなくはない。教え込みというのが言過ぎだとしても、少なくとも、取調べの際のやりとりから、犯行態様等について、一男が多くの知識に接する機会があつた可能性は否定できない。前記精神鑑定医柴田出はその証言で、一男に対する教え込みは単純な事柄については可能だが、一連の意味ある動作については困難だと述べているが、一男の供述のあいまいさ、個々の動作の単純さ、知識の特殊性を考えれば、この点の可能性を完全に否定し去るには十分でない。
現に、前示甲第一二、一三号証、乙第四二号証及び原告本人一男の尋問の結果中には、死体引上げ現場や犯行現場での目撃経験及び警察で得た知識を語つていると解釈できるような表現が散見されるのであり、この点は注目に値する。
(六) しかし、以上の検討だけでは、一男の犯行を自認するかのごとき供述や犯行再演、被害者の所持品等の選出行為の中には、犯人でなくともなし得る可能性のある供述(行為)が含まれているにすぎないので、更に、一男の供述や動作の中に、犯人でなければ絶対に知り得ない事実があるかどうかを検討する必要がある。犯人でなければ知り得ない事実とは、捜査官自身も一男の供述や動作によつてはじめて知り得た事実をいうのであつて、もしこのような事実が一点でも発見できれば、その供述や動作には、全体として、確実な信用性を認めることができるであろう。
<証拠>を総合すると、捜査本部が、一男の自供を得る以前(四月一三日以前)に知り得た本件犯行に関する事実(特に一男の前記供述や犯行再演に関連するもの)は、次のとおりであることが認められる。
被害者の自宅は、国鉄諏訪川鉄橋南端から同川の南岸土手に沿つて東へ約三〇数メートル隔だつた地点にあり、被害者は、毎朝、右土手上の小路を通り、国鉄の軌道を横断して登校していたこと、二月七日、被害者は朝八時二〇分過ぎに鞄と運動靴入れの手提袋を下げて家を出たこと、被害者の自宅の対岸にある大福パン諏訪川工場の女子工員中川洋子ら三名は、同日の朝八時三〇分ごろと、三五分ごろの二度にわたり、同工場内から窓越しに、右鉄橋南岸土手上の国鉄軌道上下線中間地点で、中学生か高校生のように見える男が、背を向けて、地面に誰かを押えつけてけんかをしているような様子を目撃したこと、同じく八時四〇分ごろ、右鉄橋の西側に架かる船津橋を歩いて船津中学へ登校途中のB(同校二年生)は、同橋の中間地点で、ドボーンという音を聞き、鉄橋の下を見たところ、学生鞄が川面に浮いており、また鉄橋南端のコンクリートの堤防に白いパンツのような布がひつかかつていて、その布に向つて誰かが石を投げ、一発でこれを川面に落したことを目撃したこと、天領橋下で発見された被害者の死体は、パンツを脱がされており、顔面から頸部にかけて被害者のバンドが巻きついていたこと、被害者の死体解剖の結果(前示甲第二一号証によると、捜査記録中には、被害者の死体解剖の結果を記載してあると思われる井上徳治作成の鑑定書があるようであるが、本訴には証拠として提出されていないので、前示乙第三九号証、生島証言及び木村証言等により推認すると、次の点が認められる。)、被害者の頸部には、扼痕及び索条痕が認められたが、死因は溺死であつたこと、前示のとおり、被害者はパンツを脱がされていたが、姦淫されておらず、陰部には擦過傷やうつ血も認められず、姦淫しようとした形跡も見られなかつたこと、陰部にはいまだ陰毛が生えていなかつたこと、被害者の頭頂部の後中央部には表面に擦過傷のないコブが、臀部には米粒大の点々とした溢血がそれぞれ認められたが、その他に被害者の身体を引きずつたと思われるような傷痕は認められなかつたこと、前記鉄橋の南岸寄りの川底から、被害者のパンツ、黒色皮靴一足、靴底一足分、手鏡、くし、手提袋(運動靴入れ)、白色運動靴一足及び筆入れが発見されたが、鞄は発見されなかつたこと、パンツは裏返しになつておらず、表を向いたまま発見されたこと、被害者は金員を所持しておらず、盗難に会つた形跡はないこと、以上のような事実が判明していた。
右の事実に照らせば、犯人が、前記鉄橋南岸土手上の軌道敷内上下線中間の窪地あたりで被害者と出会い、そこで被害者を何らかの方法で押し倒し、手で首を締め、また被害者のバンドをはずしてこれで首を締め(手で締めたのとバンドで締めたのとは、前後が明確ではないが、締めつける力の具合から見ても、手が先きでバンドが後と考えるのが普通であろう。)、その後パンツを脱がせ、次いで被害者を引きずらないで、たとえば抱かえて、諏訪川に投げ込み、更にパンツ、鞄、手提袋を川に投げ、パンツがコンクリートの堤防にひつかかつたので、これに石を投げつけて川に落した(以上の点はすべて一男の四月一三日付自白調書に現われている事実である。)という事実経過を想定することは、極めて容易なことと思われる。ところで、右自白調書には、一男がパンツの裾の方を引つぱつて脱がせた旨の記載があり、普通パンツを脱がせれば、これが裏返しになるのに、本件では表向きのまま発見されていることからすると、右供述記載部分はこの状況を説明するのにまことに理に適つている。そして、当時大牟田署の刑事課長であつた木村高綱は、その証言で、右のような一男のパンツを脱がせる行為を見て、はじめてパンツが表向きになつていた理由がわかつたと述べている。しかし、パンツの裾を引つぱつたというのは、右証言にもあるように、一男がそのように供述したというのではなく、動作であつて、一男の動作を捜査官がそのように理解したというにすぎないことがわかるし、もともと右動作による表現が、パンツの上あるいは下を引つぱるという細部にまで正確になされたかという点には疑問があり、一男がパンツの裾の方を引つぱるような動作をしたのは単なる偶然である可能性も考えられる。しかもパンツが表向きになるように脱がせる方法を予想するのは比較的簡単なことであるから、この点についての一男の供述(動作)は、捜査官にもわからなかつた事実を曝露したものとは断定できない。また、前示乙第三九号証によると、捜査本部は一男の自供を得た後の四月二〇日、被害者の死体を解剖した医師井上徳治から、被害者の頭のコブ、首の扼痕、索条痕等が、一男の供述どおりの犯行動作によつて出来たものと考えられる旨の供述を得たことが認められる。しかし、首の扼痕や索条痕から、犯人が手及び紐様のもので首を締めたであろうことを想像するには、なにも鑑定医の説明を得なくとも可能である(むしろ、前示鑑定書には、右傷痕の予想される成傷器についても記載されていたかも知れない。)し、頭頂部のコブについては、同号証には、単に、一男の供述どおりの動作でも説明できないわけではないという程度の記載しかないから、同号証の存在は、捜査本部が、一男の供述によつて、はじめて、右首や頭の傷痕の原因を知つたと認むべき根拠とはなり得ない。以上要するに、四月一三日付の一男の自供調書の内容は、すでに捜査本部が知つていた事実から想定し得た事実を越えるものではないといえる。むしろ、捜査本部がすでに知つていた前記事実からすると、犯行時間は、少なくとも八時三〇分ごろから約数分間かかつていると思われるところ、一男の自供した行為はあまりに簡単であつて、その時間を埋め尽すのに十分でないきらいがある。特に、金品を捜したり、姦淫しようとする行為が出てこないのは当然としても、パンツを脱がせてから被害者を川に投げ込むまでの間には、何か空白があるような感を禁じ得ないのは考えすぎであろうか。
次に、四月一三日以後の一男の自供や動作について見るに、前示一九日付実況見分調書や二五日付写真撮影報告書に記載の一男の動作は、犯行再演については四月一三日付調書の域を出るものではないし、被害者の所持品等の選出及び型や色の指摘には、もちろん、捜査本部の知り得なかつた事実は含まれていない。むしろ、右両書面に添付された写真の動作のうち、首を締める動作が、足を曲げないで腰を曲げて俯いただけであつて、しかもバンドを握ぎる手つきが、指先で持つているだけであり、演技とはいえあまりに不自然なのが気になる程である。四月二五日付調書には、前示のとおり、被害者が左手に鞄を持つていたこと、首を締めたとき被害者がバタバタあばれたこと、及び被害者を川に投げたとき川には水がいつぱいあつたことの三点が新たに記載されているが、被害者があばれた点は、犯行経過から当然予想できるし、川に水がいつぱいあつたことも、前示Bの供述から考え得るところである。ところで、被害者が左手に鞄を持つていた点については、成立に争いのない乙第九号証によると、捜査本部は、五月八日に被害者の母乙から、被害者が当時左手を使う練習をしていたから、犯行に遭つたときも左手に鞄を持つていた可能性がある旨の供述を得たことが認められるが、一男が、被害者が鞄を持つていた手の彼此まで記憶していること自体あてにならないうえ、右乙の供述は単に可能性を述べたに止まり、当時被害者が真実いずれの手に鞄を持つていたか、確定する証拠もないのであるから、この点は決定的な意味を持たない。最後に、五月二六日付及び七月七日付検面調書について見るに、前者には新たな事実はなく、後者には、前示のとおり、パンツを落すために石を投げたのは一回であること、及び犯行現場から立ち去るとき、川の南岸の土手を西へ歩いて帰り、その途中でも川に石を投げたことの二点が新たな事実として記載されているのであるが、前者の事実はBの前示供述により判明していた事実であり、後者の事実も、成立に争いのない乙第二一号証によると、すでに四月一七日の時点で、捜査本部が、失対人夫Aから、犯行時刻ごろ、犯行現場から西側の土手上を、石を川に投げながら歩いて行く男を見た旨の供述を得ていたことが認められ、この供述に符合している事実にすぎないといえる。
そのほか、前示甲第一二、一三号証によると、一男は、原告ら代理人の質問に対し、(被害者の)首を締めたら、「ハアー、ハアー」というこまかい声を出したとか、「助けてち」といつた旨の供述をしている事実等が認められ、右供述は、かなり実感がこもつていて、しかも前後の質問から見て、暗示や誘導にかかつたとも認められず、また、質問の言葉の繰返しでもないので、この点の供述は、犯人でないと述べられないものであるかのようにも思えるが、しかし、この供述内容の真疑については、未だ確証もなく、決め手にはならない。
以上要するに、一男の供述や動作の中には、捜査本部も知らなかつた事実を曝露したと認められるものはなく、結局、これらの供述や動作を信用すべき決定的な根拠は遂に発見できなかつたというほかない。
(七) ところで、前示乙第四〇、四一号証によると、四月二五日の大牟田署における取調の際、これに立会つた精神科医師辻敬二郎及び心理学技師岡本健二の両名は、一男の犯行を認める供述、犯行再演、被害者の所持品等の選出行為について、いずれも信用性が高いと述べていることが認められる。そして、右両名が一男の供述等を信用できる理由として述べるところは、右証拠によると、①痴愚以上の能力があれば、防衛、攻撃ともに可能であり、犯罪も敢行できること、②一男の能力から見て、直接経験したり強く印象づけられたことでないと具体的に供述できないこと、③その供述能力の低さから考えて、犯行再演動作や被害者の所持品等の選出行為は信用できること、④特に手袋の色やパンツの型等、服装の細い部分あるいは隠された部分の指摘は直接経験にもとづくと考えられること、⑤一男の能力からすると、嘘を言つたり、人を騙したりする能力がないこと、以上の五点に尽きることが認められる。ところで、右①の点は単に一般的な可能性を述べたものにすぎないし、②の点は、そもそも一男の供述は、自ら犯行を行なつたとの意味に理解して良いかどうかに問題があること、③、④の点は、犯人として直接経験したものかどうかに疑問があること前記のとおりであつて、右両名がこの問題点に着眼していたかどうか、もし気付いていたとして、その専門的知識を駆使して、どのようにその点を検討したか全く明らかではなく、むしろ、前示生島証言によると、右両名は、取調べに際し、一、二の質問を行なつただけで、あとは捜査官の取調を観察していたにすぎないことが窺えるから、とうてい右の問題点に目を向けこれを検討したとはいえず、かつ捜査官に適切な注意を与えたともいえないので、結局右両名の指摘する③、④点の理由は、本判決ですでに検討した前記問題点を克服したものとは認められず、この点をもつて一男の供述等を信用する決定的根拠とすることはできないというべきである。⑤の点については、前示乙第四三号証によると、一男の兄金一も認めている点ではあるが、嘘をつくことができるかできないかということは、一男の供述や動作の真の意味が理解できた上ではじめて問題となることであり、本件では、まず第一に一男の供述や動作が自らの犯行経験に根ざすものであるかどうか、それ自体を問題とせざるを得ないのであるから、一男に嘘をついたり、人を騙したりする能力がないからといつて、その供述や動作を直ちに全面的に信用することはできないのである。したがつて、右乙第四〇、四一号証は、一男の供述等の信用性を認める根拠としては十分でない。
そして、生島証言や木村証言及び証人河田昭の証言中に表われているところの、一男の供述等が信用できるとする種々の理由については、すでに検討して来た点の説明で尽されていると考える。
(八) そして、他に一男の犯行を自認するかのような供述や犯行再演、被害者の所持品等の摘出行為の信用性を裏付ける格別の証拠はない。
むしろ、一男の右供述等の信用性を弱める根拠としては、後記Bの目撃供述等があるほか、特にここでは次の点を付加しておこう。前示柴田出の証言によると、犯人が被害者自身や鞄、パンツ等を川に投げ込んだ行為は、犯罪を犯したことによる恐怖心から衝動的に行なつた行為か、あるいは証拠隠滅のための行為かは明確に区分できないが、ひつかかつたパンツに石を投げてこれを川に沈める行為は、明らかに証拠隠滅の目的に出た行為と考えられる。そうすると、一男の能力から見て、このような証拠隠滅の行為が出来るかどうかが疑問として残るのである。同証人は、この点の可能性については、いずれも明確な回答をしていないが、我々の常識的な判断から見ても、三才半程度の知能の者に、右のような証拠隠滅の行為が可能かどうかは疑問があるうえ、前示乙第四〇号証によると、痴愚の者には、嘘を言つたり、人を騙したりする能力がないということ前記のとおりであるから、この点からしても、一層その感を深くするのである。したがつて、この点は、却つて一男の供述等の信用性を低める一つの根拠となるであろう。
4 自白以外の証拠について
(一) 前項では、一男の自白(供述及び動作)の信用性を検討し、その信用性に疑問があるとの結論に達したので、ここではそれ以外の証拠について考えてみる。前述のとおり、一男が真犯人であることを裏付ける直接的証拠としては、自白以外になく、間接的な証拠としては、Aの目撃供述及び一男の卑猥な行為についての捜査報告書があるくらいである。これらの証拠も、一男の犯人性を推認させる証拠というよりは、むしろ、自白の信用性に関係する証拠と見た方がよいかも知れないが、自白の信用性に関すること以上の内容を含んでいるとも考えられるので、ここで検討する。
(二) Aの供述調書は、四月一七日付及び六月一日付各書面調書(乙第二一、二二号証)並びに七月六日付検面調書(乙第二三号証)が存在する。右四月一七日付調書には次のような趣旨の記載がある。
二月七日の朝八時一五分ないし三五分ごろ、船津橋より西側の諏訪川北岸から、同橋南端の道路上に男の姿を目撃した。その男は年令三〇才前後、身長一六〇センチメートルくらいで、髪はハイカラ、尻の割れたような紺色の半オーバーを着て、ゴム長靴様のものをはき、橋のらんかんに足をのせぶらぶらしていた。また八時四二、三分頃、同橋から西へ五メートルくらい隔だつた南岸堤防上の竹藪から、別の男が立ち上つたのを目撃した。その男は、年令二五才から三〇才くらいで身長約一六〇センチメートル、体格は普通で丸顔、頭は丸刈ではないが、前が少し長く油気のないバサバサ髪、紺ないし濃茶のジャンバー様の服を着ていた。その男は川に石を投げ、鉄橋の方を振り返えりながら下流の方(西方向)へ歩いていつた。その翌日事件の発生を知つたが、後で川に石を投げていた男がもしかしたら犯人かも知れないなどと考えていたので、その頃捜査に来た警察官に以上のような話をしておいた。後者の男が一男に似ているかどうかについては断言できないが、顔の輪郭が似ているようだ。
六月一日付調書の内容については特に取り上げるほどのものはない。七月六日付調書の記載のうち、前記四月一七日付調書と異なる点は次のとおりである。
第一回目に男を見た時間は八時一二、三分ごろでその男は、年令三四、五才から四〇才くらい、黒のオーバー様のものを着て長靴をはき、髪をきれいに分けていた。またその男は人を待つている風であつた。二回目に見た男は、先の男とは全く別人で、目撃した時間は八時二七、八分から三〇分くらい、黒あるいはこげ茶色のチャック付ジャンバーを着て、風呂敷包を持つていた。頭は五分刈程度で油気のないバサバサ髪で、一見労務者あるいは工員風であつた。その男は五回ほど川に石を投げた。はじめ左手で二回、その後右手で三回くらい投げた。写真を見ていたせいもあるかも知れないが、その後、天領バス停留所横で一男に会い、その顔かたちや服装を見たとき、一男が後者の男に良く似ていると思つた。自分の視力は1.2で、距離も二〇〇メートルは離れていなかつたので、男達の行動ははつきり目撃できた。
ところで、前示木村高綱の証言によると、捜査本部は、犯行の翌日即ち二月八日にはAから聞込みを得ていたというのであり、乙第二一号証の同女の調書には、前記のとおり、同調書に記載のような内容は事件当初すでに警察官に話してあつた旨記載されているが、この調書が作成されたのは、捜査本部が一男の自供を得た後の四月一七日である。これほど重要な内容を含んだ供述について、直ちに調書が作成されなかつた点を見ると、捜査本部においても、同女の供述内容の正確性に信用を置いていなかつたことを物語るものと考えられなくはないが、仮にそうでないとしても、前記四月一七日付の調書と七月六日付のそれを見ると、内容が細部ではあるが重要な点に変更があり、かつ新たな事実も加わつていることがわかる。この点から見ても、二月八日の段階での同女の供述と右各調書記載内容にはかなりの相違があつたであろうと思われる。すなわち、四月一七日の調書の内容は、二月八日の供述内容をそのまま記載したものではなく、調書を取る段階で、新たに思いついたり、考え直した点がかなり含まれていると思われる。特に、この段階では捜査本部は、一男の自供を得ていたのであるから、第二の男が一男ではないかとの考えを持つたことは疑いないであろうし、そのため、同女の供述内容を、意識的にせよ無意識的にせよ、第二の男が一男に符合するように誘導した可能性を否定できない。なぜならば、同女の前記調書内容から見て、同女は二〇〇メートル近くも離れた地点から、さほど目的意識もなく目撃し、しかも、目撃した日から二か月も経た時点で供述しているのに、その内容があまりにも細部にわたつていて、一男の風体に近似しすぎているからである。したがつて、乙第二一及び第二三号証記載のAの供述内容の正確性には疑問が多いというほかない。また、同女は第二の男が一男であると断定しているわけではなく、この点については確信がありそうにもない。
したがつて、仮に、第二の男が犯人であることを不動の前提としても、乙第二一ないし第二三号証のAの供述調書は、一男と真犯人とを結び付ける証拠としては未だ十分でない。
(三) 乙第三二ないし第三四号証の捜査報告書は、一男が本件事件発生の前後数年間にわたつて、幼児のパンツを脱がせ陰部をのぞくといつた卑猥な行為をした六、七例についての聞込みを内容とするものであるが、これだけでは、一男と本件犯行を結び付けるのが困難であること前記のとおりである。ところで、前示木村高綱の証言によると、捜査本部は、本件犯行が、比較的人目につきやすい場所及び時間帯に公然と敢行されたこと、パンツを脱がせながら姦淫もしていないことから、犯人は精神異常者か性的変質者の可能性が濃く、また付近には人通りがあるのに、被害者が助けを求めた声を聞いた者がなく、しかも被害者において激しく抵抗した跡もないことから、犯人は被害者と顔見知りである可能性が濃いと考えていたことが認められる。右捜査本部の想定は一応理に適つていると思われるうえ、成立に争いのない乙第七号証によると、被害者の家と一男の家とは三〇〇メートルほどしか離れておらず、被害者が一男を知つている可能性が濃いことが認められるので、これらの点と前示捜査報告書とを合わせると、一男が犯人であつても不合理な点はないといえる。しかし、これらは単に一男が犯人である可能性を支持する根拠となるだけであつて、これだけで一男以外に犯人は考えられないとまで推論し得ないことも明白である。一男の自供等が信用し得てはじめて役立つ証拠であるにすぎない。
5 一男に有利な証拠について
以上検討したところにより、一男の自白はその信用性に疑問があり、右自白以外には、一男が真犯人であることを裏付ける特段の証拠もないので、結局、これらを総合しても一男が本件殺人事件の真犯人であるという被告らの主張は、これが合理的な疑いを差しはさまない程度にまで十分に立証できなかつたものというほかない。従つてここで、さらに一男に有利な証拠を引き出す必要もないのであるが、さりとて前示自白調書等の各証拠は一概にその価値を否定できるものでもなく、やはり一男の犯行であることを疑はしめる有力な資料であることは争えないので、後で捜査本部が一男を真犯人と信じたことの相当性を判断する際の便宜のため、一男に極めて有利なBの目撃供述について検討しておくこととする。
<証拠>を総合すると、Bは、二月七日の朝、前記のとおり犯人が鞄を川に投げたりパンツに石を投げて川に落した行為を目撃した後、船津橋を渡つて五メートルほど進んだとき、左方約一四メートル先の国鉄軌道敷内にいた男の前額部から上を目撃し、更に一〇メートルほど進んで、後を振り返つたとき、船津橋を北に向け(反対方向へ)ゆつくり走り去る男の後姿を目撃したことが認められる。<証拠>によると、同女が、同日後間もないころ、本件殺人事件について作成した作文や友人に語つた際には、線路の中に見た男については触れていないことが認められるが、これとほぼ同じころ作成された前示乙第一一号証の書面調書では、明確に線路の中の男を目撃した旨記載されているのであるから、右作文や友人に対する会話の中にこの点が現われていないとしても、その記述や対話の性格上、目撃内容を細部にわたり網羅しているものとは考えられないので、右乙第六三、六四号証を根拠に、同女が線路の中の男を目撃していなかつたということはできない。そこで、同女の目撃した男の人相、風体についてみるに、前示乙第一一号証、甲第一号証及び同女の証言によると、線路の中の男は、前額部に長髪の前髪が垂れ下がつていて、髪を分けており、後姿の男は、髪が長く、背は特に目だつほどではないが高い方で、体格はスラッとした感じで肥つておらず、服装は大きい格子の縞の入つた青い感じの股あたりまでのコート様のものを着ていて、一見サラリーマン風であつたというのであるが、他方<証拠>によると右目撃した男の服装についてのBの供述は、事件発生後間もないころ、その父に語つたときも、また前記作文の記述あるいは友人との会話においてすら、早くも自信がない様子であつたこと、そして、一男が自供した後の警察、検察官に対する供述でもその点についての供述は動揺を示していること、しかも頭髪については、長髪であつたという点では不変であるが、髪型については一貫していないことなどが窺える。そのうえ前示甲第一号証、乙第一一ないし第一四号証の同女の供述内容や同女の証言においても、同女は線路の中の男が船津橋に走り出たところを目撃したと述べているわけではない。これらの点からすると、同女の目撃した後姿の男と線路の中の男との同一性自体疑わしく、かつまた後姿の男の風体についての目撃内容についても十分な信用を置き得ないものというほかないのであるが、しかし、少なくとも、線路の中の男の髪が坊主頭ではなく、長髪であつたという点については、比較的信用性が高いと思われる。けだし、同女が線路の中の男を見たのは極めて短時間で、しかも額の上しか見ていないにしても、その前に諏訪川に誰かが鞄を投げ込んだのを見ており、誰が投げたかについてはかなり関心があつたと思われるから、線路の方を見やつたときの意識は目的意識が強かつたであろうと思われるし、また目撃対象との距離はわずか一四メートルほどであるから比較的正確に見ることができたはずであり、そのうえ、同女が特に嘘をいつたり、事実を誇張して述べているという根拠もないからである。たしかに、前示乙第一二号証では、同女は「その男の髪が長かつたように覚えている程度である。」と述べており、また同第一四号証では、「長髪だとは断定できない。」と述べているほか、同第六二号証では、父に対し「髪は上に向いて伸びていた。」と述べているなど、同女の頭髪に関する供述にもあいまいな記載はあるが、右乙号各証が作成された段階では、捜査当局はすでに一男の自供を得ていたのであり、その自供に信用性を認めていた捜査当局にとつては、これと明らかに矛盾する同女の目撃供述(乙第一一号証)の存在が大きな障害となつていたはずであり、この点が捜査官の取調べや調書のとり方に意識的にせよ無意識的にせよ大きな影響を及ぼしたであろうことが十分考えられるのである。右乙第一二、六二号証作成後に作成された前示乙第一三号証では、同女は一男の面割をした後、その髪型が線路の中の男と違うように思うと述べている旨記載があるほか、更に乙第一四号証より後に作成された前示甲第一号証や本件訴訟段階での証言でも、同女は、線路の中の男が髪を伸していたことを明確に述べている点なども考慮するとき、同女の線路の中に見た男の頭髪についての供述は、軽々しくその信用性を否定すべきではないといえる。
そして、<証拠>によると、一男は普段から頭を丸刈にしており、犯行日当時も丸刈であつたことが推認できる。
そうすると、Bが線路の中に見た男が犯人であることはほぼ間違いなく、その男の頭髪が長髪であつた可能性は高いのに、一男は丸刈であつたのだから、一男が真犯人でない可能性の方が高いということができるのである。この点の問題は、結局一男の犯行を自認するかのような供述等とBの目撃供述の信用性の比較の問題であるが、一男の供述等の信用性にまつわる前記のような諸問題に較べ、Bの供述の方がその信用性の客観的状況が優れているといえるし、少なくとも一男の供述等に、Bの供述の信用性を否定するまでの信用性を付与する根拠はないというべきである。
また、<証拠>によると、大福パン諏訪川工場の女子工員三名が、犯人を目撃しているが、同女らの供述は、目撃対象との距離が七〇メートル余りもあり、また見通しも十分でないため、犯人の人相、服装等についての認識が正確ではなく、一男が犯人であるともないとも断定できないことが認められ、単に一男が犯人であつても矛盾しないという程度にすぎないといえる。そのほか一男のアリバイに関する証拠もかなりの数存在するが、その時間についての供述等の正確性には疑問がないではなく、これといつて決定的なものが見当らないし、一男のアリバイについて詳細な検討を加える必要も特にないので、この点については深く立ち入らないこととする。
6 以上の次第であつて、一男が本件殺人事件の真犯人であるという点については十分な立証があるとはいえないが、なお捜査本部において一男を真犯人と断定したことの相当性が問題となるので、次にこれを検討する。
すでに検討した証拠上の問題点と前示木村高綱の証言によると、捜査本部が一男を真犯人と信じた根拠は、一男の自白供述や動作による表現に信用性を認め、それと矛盾する目撃者の供述等の信用性を否定したことにあり、自白以外に有力な証拠を見出したことによるものではないことは明らかである。ところで、一男の自供や動作等の信用性については、すでに検討したように種々の問題点が内在するのであるが、捜査本部がこの点にどれほどの配慮をしたかについて見ると、前記のとおり、一男に対する捜査本部の取調べは少なくとも、四月一三日、一四日及び二五日の三回にわたつて行なわれているところ、第一回目には一男の兄金一を、第二回目には母ウメをそれぞれ立会わせ、また、第三回目には精神科医師や心理学技師を立会わせるなど、一男の精神能力上の欠陥を考慮した措置がとられているうえ、立会つた兄金一や右精神科医師、心理学技師から、一男の供述や動作は信用できる旨の意見を徴している。このような取調方法は、通常人の取調べに比較すれば、かなり慎重なものといえる。しかし、一男の供述には犯行を認める供述もあるが、質問の角度を変えれば直ちに逆の供述等もあらわれて来て、その意味が必ずしも明瞭でないこと、犯行再演や被害者の所持品摘出の動作については、多角的な検討がなされておらず、しかもその動作自体のなかに信用性についての否定的要素が含まれていること、前記のとおりであるから、一男の供述や動作の信用性について十分な検討が加えられたものとはいえない。一男に対する取調の際の対話や、前示精神科医師辻敬二郎及び心理学技師岡本健二の意見などから、一男の精神障害がかなり重いものであることは、捜査官にも容易に理解し得たはずであるし、前示乙第四四、四五号証、<証拠>によれば、捜査本部は一男の家族の取調べによつて、一男が死体引上作業を長時間目撃していたこと、一男は他人がしたことや人から聞いたことを自分がしたようにいうことがあること、一男には証拠を隠すような知恵がないこと等の供述を得ていたことが認められるから、一男の供述や動作の中に、犯行体験以外の経験に基くものがあり得ないかどうかを十分に検討すべきであつた。そして、前記争いのない請求原因二の事実によれば、一男に対する捜査本部の取調は、身柄不拘束のままなされたのであるから、時間的余裕は十分にあつたといえる。しかるに、前記一男の自供を得た以後の捜査本部のBやAらの目撃者に対する取調態度を見ると、捜査本部はあまりにも一男の自供や動作に信用を置きすぎ、かえつて、他の証拠の評価に冷静さを失つたように思われる。前示争いのない請求原因二の事実、<証拠>を総合すると、捜査本部は、事件発生後、以下数字には多少正確さを欠く点もあろうが、前歴者五八人、素行不良者一八一人、類似関係事件者五九人、精神病者四〇人、変質者一五人の容疑者と、定時通勤者九三〇人、学校遅刻者二一五人、交友関係者一一八人など計一、六八四人の多数について捜査をしながら、二か月を経過しても、これといつた決め手をつかみ得なかつたこと、一男についても現場付近に住む精薄者であるところから一応容疑がかけられていたが、それまでの捜査で他と較べて特に顕著なものがあつたわけではなく、四月八日ごろ、それまで学生関係の捜査に主力を注いでいた生島警部補が、現場近くでたまたま一男と出会つた際、同人が未発見の被害者の鞄について何か知つているような口吻をもらしたことがきつかけとなり、一三日に同人を大牟田警察署に連行して取調べたところ、遇然同人から犯行を自認するかのごとき供述や動作を得、以後同人に対する集中的な捜査がなされて、一か月後の五月一二日頃、同人が真犯人であるとの結論に達し、その旨報道関係者にも公表されたこと、以上の事実を認めることができる。右事実に照らせば、一男の自供を得た当時、捜査本部には犯人の捜査についてあせりがあつたことは否定できないし、そのあせりの中で遇然一男の自供に接したため、これに対する期待が異常に拡大されたであろうことも想像に難くない。
以上検討したところからすれば、捜査本部は、重症の精神薄弱者である一男の自供等にあまりにも信用性を置きすぎ、その反面右自供等と矛盾する目撃者の供述等の証拠価値を不当に疑い、他に格別有力な証拠もないのに、一男を真犯人と速断したものということができ、この判断については未だ相当な理由があるとは認め難く、他にこの判断を左右すべき証拠もない。
7 そうすると、捜査本部が一男を真犯人である旨報道関係者に断定的な公表をした点は、その内容が真実であるとの証明がなく、また真実であると信じたことについて相当な理由もないので、右公表は違法であるといわざるを得ない。もつとも、前記一男の供述中の犯行を自認するかのごとき供述や犯行再演、被害者の所持品等の選出行為等には、すでに詳述したような問題点を包含しながら、なお否定し去ることのできないものがあり、これらの証拠からすれば、捜査本部が一男に疑いを持つたこと自体を責めるのはいささか酷であろうが、刑事手続においても被疑者の名誉が尊重されねばならないことは当然であり、このような断定的な犯人の公表はたとえそれが前記のように新聞紙上等には氏名を明示しないで報道されることを前提にしても、なお差し控えるべきであつたといえる。そして、右違法の態様からすると、右公表について、捜査本部の過失を認めることは容易といわなければならない。
なお、原告らは、捜査本部の一男の自白調書の作成及びBらの目撃者の供述調書の作成が、故意にも近い証拠のねつ造であると主張するが、その点を認定するに足る何らの証拠もない。
四逮捕の違法性
1 河田検事が、一男に対する殺人被疑事件につき、逮捕状の発付を得て、五月二二日これを執行し、一男を逮捕したことは前記のとおり当事者間に争いがないので、その違法性について検討する。
2 逮捕の要件が、被疑者が罪を犯したと疑うに足る相当な理由の存在及び明白な逮捕の不必要性の不存在の二点であることはいうまでもないところである。
(一) そこで、まず第一の要件について検討するに、前記のとおり、捜査本部の捜査終結段階の証拠から見ても、反対証拠の存在にもかかわらず、一男の犯行を自認するかのごとき供述や動作及びこれをとりまく情況証拠からして、一男に対する嫌疑の存在を否定することはできないうえ、前記争いのない請求原因2の事実に、<証拠>を併せると、河田検事に事件が送致されたのは五月一九日で、同検事が裁判所に逮捕状を請求したのが同月二〇日であるから、その間に同検事が検討し得た証拠は、送致された一件記録だけであつて、目撃者等はもちろん一男にも直接当つていないことが窺われるが、警察が捜査した証拠のすべてを直接検討しなければ令状請求をなすべきでないともいえないので、前示乙第二四、二五号証、第三〇ないし第三四号証等の自白調書、実況見分調書、捜査報告書等から、同検事が一男に対する相当な嫌疑の存在を肯認したことを違法ということはできない。
(二) 次に、逮捕の必要性について検討するに、一男の能力からすると、同人が逃亡する可能性はまず考えられないが、送致された捜査記録を見れば、一男の嫌疑を否定する可能性を含んだ目撃証拠やアリバイ証拠が多数存在し、一男に対する嫌疑が証拠上十分固まつていないことが判断されるし、本件犯罪の重大性をも考慮すれば、証拠隠滅の可能性を否定することはできないといわねばならず、この点だけからしても、明らかに逮捕の必要性がないとは断定できない。
したがつて、河田検事が一男を逮捕したことを違法と主張する原告らの主張は認められない。
五河田検事の公表の違法性、有責性
1 原告らは、河田検事が、報道関係者に対し、一男が真犯人であることを公表した旨主張するが、この点を認めるに足る証拠はない。被告国は、同検事が七月八日原告ら代理人で当時一男の弁護人であつた斉藤鳩彦弁護士に対し、「一男の自供を裏付ける証拠はあり、犯行は間違いないが、同人は精神鑑定の結果心神喪失に近い心神耗弱状態と考えられ、責任能力がないので不起訴とした。」旨説明した点は自認しており、前示甲第八号証の二四によると、朝日新聞社の記者が右斉藤弁護士から同検事の説明を又聞きし、これを七月九日付の同新聞社の朝刊紙面に報道したことが推認される。右事実によると、河田検事が斉藤弁護士に対して表明した事実が、結果的には新聞を通じて公にされたのであるが、被疑者の利益を図るべき弁護士たる弁護人に対し、被疑者自身の被疑事実が肯定される旨告げたからといつて、この行為をもつて、公然と事実を摘示して人の名誉を侵害した行為ということのできないことは明らかであり、原告らもこの所為を非難するものではなかろう。また、<証拠>によると、右朝日新聞の報道より一日早い七月八日の読売新聞朝刊紙面には、すでに右朝日新聞と同趣旨の報道がなされていることが認められるが、右報道は読売新聞一社のみであつて、内容は極めて簡潔であり、しかも成立に争いのない甲第八号証の二〇ないし二二に照らすと、検察庁のこのような事件処理は報道関係者においてもある程度事前に予測していたことが窺われるので、これだけで河田検事が右記事と同内容の公表をしたものと即断することはできず、そして他に原告らのこの点についての主張を認めるに足る証拠はない。
2 つぎに、原告らは、河田検事が、一男を真犯人であると公表しなかつたとしても、警察段階で一男が真犯人である旨公表されていた事実を知つており、かつその補充捜査の結果一男が真犯人でないことが明らかになつた場合、同検事としては、警察の公表により侵害された一男の名誉を回復すべき義務があるのに過失によりこれを怠つたと主張する。しかし、警察官の行なつた名誉毀損行為について、右の程度の事情のもとで、検察官に名誉回復義務があるとする原告らの主張は独自の見解であつて、到底採用できない。したがつて、河田検事に右名誉回復義務があることを前提として、同検事がこれを怠つたことをもつて、いわば不作為による名誉毀損であるとする原告らの主張も理由がない。
六原告らの損害について
1 原告一男の慰藉料
原告郷フク子及び同小川金蔵各本人尋問の結果によると、一男は、事件当時二七才であつたが、幼少の頃の熱病が原因で知能の発達が著しく遅れ、小中学校を最劣位で卒業し、その後も独立した生計を営むことができず、父母、兄弟に依存し、父の営む養豚業の手伝いをしながら単純な生活を送つていた者であるが、従順な性格が好かれ、近所の人々や子供達に評判も良く、これまで平穏な日々を送つて来たものであること、しかるに、本件殺人事件の真犯人である旨公表されて後は、一部一男を良く知る人々は、同人の無実を信じ、温い目で見守つてくれてはいたものの、それをとりまく多くの人々からは、冷たい眼差を向けられ、同人に対する世間の風当りは厳しいものがあつたことを窺い知ることができる。この事実に鑑みると、同人の社会的な名誉、信用は必ずしも高いものではなく、また真犯人とされた後も、周囲の人々によつて温かく包まれて来たとはいえ、兇悪な殺人犯人との烙印を押されたことによる、同人の名誉に対する被害は、ただならぬものがあつたことを推認するに難くない。同人は、その能力的欠陥のため、この事実を感得することはできないが、同人の客観的な人間としての尊厳性が保護されねばならないこと、原告らの主張するとおりである。そして、前記認定の、本件違法行為の態様、内容、程度及び過失の程度に、少なくとも被告らが一男の氏名を公表しなかつた事実を併せ考慮すると、同人の名誉侵害に対する慰藉料は、金五〇万円をもつて相当と思料する。
2 その余の原告らの慰藉料
原告小川金蔵及び同ウメが一男の両親であり、その余の原告らが同人の兄弟姉妹であることは当事者間に争いがない。ところで、これらの原告は、一男が社会的に真犯人との烙印を押されたことにより、殺人犯人の親、兄弟姉妹として、自分自身の名誉信用、肉親としての情愛を傷けられたというのである。たしかに、今日の日本の社会においても、いまだ個人責任の原則に対する理解が浅く、家族の中から犯罪者を出すと、その家族全体の社会的評価が低下する傾向が残つている事実は否定できないところであり、特に本件のように事件が兇悪な殺人事件であり、しかもその犯人と目される者が幼児と同等の精神能力しか有しない場合には、その監督責任のある両親や成人した兄弟姉妹に対する世間の非難は察するにあまりあり、原告本人郷フク子及び同小川金蔵の各本人尋問の結果からもその間の事情を窺うことができる。ところで、前示乙第四四号証、右各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、一男と同居の家族は、原告小川金蔵(父)、同ウメ(母)及び同金一(兄、長男)の四人であり、父金蔵は事件当時六三才で、失対事業に就業するかたわら養豚業を営んでいた者、母ウメはその当時六二才で、夫の営む右養豚業を手伝つていた者、兄金一はその当時三六才で工員として稼働していた者であること、原告郷フク子は一男の姉であつて、当時三三才で、一男らの自宅から自転車で五分くらいの距離のところに、クリーニング職人と結婚して家庭を持つている者であるが、一男はほとんど毎日のように同原告の家庭に出入りしていたこと、その余の原告らは当時から東京で別居していたこと、したがつて、一男は日常、原告金蔵、同ウメの両親、更には同金一及び同郷フク子の監督の下に、同原告らの愛情にはぐくまれて生活してきたものであり、これらの四名については一男が真犯人と公表されたことにより、特に著しい精神的苦痛を被つたことが窺われるが、一方では近親者は本人が損害の賠償を受けることによつて自らの精神的苦痛も慰謝される関係にあるから、どの範囲の近親者に慰謝料請求権を認めるかは困難な問題であるが、民法七一一条との関係も勘案すると、本件の場合、まず一男の父母について慰謝料の請求を認めれば十分であろう。そしてその慰謝料額は、右原告らと一男との間柄、前記違法行為の態様、内容、程度及び過失の程度等諸般の事情を考慮すると、原告金蔵及び同ウメの両名について各金一五万円をもつて相当と認める。
その余の原告らについては、未だ慰謝料請求権を認めるに足る特別の事情が窺えないので、その請求は認容できない。
3 原告小川金蔵の逸失利益
同原告は、右慰謝料のほか、自己の営む養豚業を廃業せざるを得なくなつたことによる逸失利益を請求しており、廃業の止むなきに至つた理由として、右養豚業を実質的に支えていたのは一男と原告ウメであるところ、原告ウメが、一男が真犯人と公表されたことによるショックで労働意欲をなくし、かつまた一男が措置入院のため長期間隔離、拘束されたことの二点をあげている。しかし、前者の理由だけでは養豚業廃業との間に相当因果関係を認めるに足りず、後者の理由が大きな比重を占めているといえる。しかし、同原告は、措置入院処分それ自体の違法を主張しておらず、単に、措置入院が、河田検事の違法な不起訴処分(実質は、違法に一男を真犯人と断定したこと)と事実上不可分一体になされたものであるから、同検事の違法な真犯人断定と措置入院との間には相当因果関係がある旨主張しているにすぎない。しかし、仮に同検事の真犯人断定を違法としても、精神衛生法に基く措置入院が、検察官の不起訴処分とは法律上別個独立の処分であることは被告国の主張するとおりであり、また、<証拠>によると、一男に対する措置入院処分は、同人が、本件殺人事件の真犯人であるとの点については断定せず、単に性器をもてあそぶおそれのあることを「自傷他害のおそれ」の内容と認めてなされた処分であつて、その措置入院期間もわずか八か月余りであつたことが認められるので、この点からしても、河田検事の判断が、措置入院処分に影響していないことが明らかである。したがつて、同原告が主張するような、本件不起訴処分と措置入院との間の事実上の一体不可分性も認められず、結局、河田検事の不起訴処分に含まれる判断と養豚業廃業との間には、相当因果関係が認められないというほかない。よつて、同原告の逸失利益の損害賠償請求は認容できない。
七以上の認定判断によれば、原告小川一男が、被告福岡県に対し、国家賠償法に基づく損害金五〇万円とこれに対する不法行為後の昭和四五年七月一二日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める請求は全部理由があるから認容し、被告国に対する請求は失当であるから棄却し、原告小川金蔵及び同小川ウメの本訴請求は、被告福岡県に対し、各金一五万円とこれに対する不法行為後の昭和四二年七月八日から完済まで前記割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求及び被告国に対する請求は失当であるからこれを棄却し、その余の原告らの被告らに対する各請求は、いずれも失当であるからこれを棄却するここととし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(権藤義臣 小林克美 大石一宣)